柔道ニュース   『山下泰裕先生 講演会』

柔道ニュース 『山下泰裕先生 講演会』

みなさん、こんにちは。

いつもご無沙汰ばかりで申し訳ありません。
前回、春の高校選手権の時にも書きましたが、全日本予選、高校選手権、近柔杯、選抜体重別、カデ、全日本女子、全日本男子、少年選手権、学生優勝大会予選など、大きな大会が目白押しでした。どれも熱戦続きでとても楽しませていただきましたが、中でも高校選手権や男女の全日本は印象的でした。

さて、今日のテーマは「越谷市制60周年記念 全日本柔道連盟会長 山下泰裕先生 講演会」です。
平成30年5月27日(日)、埼玉県越谷市のサンシティホールにて開催されました。
主催は越谷北ロータリークラブ、共催は越谷市教育委員会です。
山下先生は、あらためてご紹介するまでも無いですが、全日本柔道連盟会長の他、東海大学副学長、NPO法人・柔道教育ソリダリティ理事長、日本オリンピック委員会常務理事強化本部長など各方面でご活躍されており、たいへんご多忙の中を越谷までお越しくださいました。
当欄でも何度かご紹介していますが、全日本選手権9連覇、オリンピック金メダル、公式戦203連勝、対外国人選手無敗など、『世界のヤマシタ』と称され数々の輝かしい成績を残された最も著名な柔道家です。
今回の講演テーマは『人生の金メダルをめざして』でした。過去の栄光は振り返らず、常に前を向いて生きて行くという先生の生き様を熱く語って頂きました。

それでは、内容の一端をご紹介します。

【柔道との出会い】
柔道を始めたのは9才。幼少時から同級生より頭ひとつ大きく元気の良い子供だった。わんぱくで幼稚園でも小学校でも周囲に相当迷惑をかけた。私が怖くて登校拒否になった子もいた程で、見かねた両親が柔道でもやれば人に迷惑をかけなくなるのではないかという思いから柔道を勧められた。
柔道は楽しかった。教室で暴れると物を壊したり周りがケガしたりするが、畳の上ならルールを守って先生の指示に従ってやればいくら暴れても誰からも叱られる事は無い。
柔道は私の有り余る闘争心を満たしてくれた。

【恩師】
中学入学から現役引退するまでお世話になった恩師は2人。中学入学から高校2年で転校するまで熊本でお世話になった白石礼介先生と、転校先の東海大相模高校から東海大学、引退までご指導頂いた佐藤宣践先生。白石先生は亡くなられたが、佐藤先生との師弟関係は今でも続いている。
白石先生からは試合で勝つための技術、戦術だけではなく、柔道をやる人間のあり方・生き方・心構えを教わった。先生に出会って私は大きく変わった。先生の教えは今の私の生き方・考え方の大きな柱となっている。
先生の教えで一番心に残っているのは、道場と日常生活、道場と人生は繋がっているんだという事。
きちんと挨拶をする。先生の話を真剣に聞く。高い目標にも努力できる。自分を律しながら仲間と力を合わせて、戦う相手にも敬意を払うことができる。これを日常生活に当てはめていけば誰もが人生の勝利者になれる。目指すのは人生のチャンピオンだと。

【ロス五輪】
当時私は日本で一番金メダルに近い選手と言われ、山下は金メダルを取ってくれると期待されていた。
ところが2回戦で軸足をケガをしてしまい、足を引きずりながら試合をした。逆転して勝ったが投げられてポイントを奪われた試合もあった。見ている人をハラハラさせてしまうような内容だったが、金メダルを取った。
そして、その試合が国民に感動を与えたと国民栄誉賞を頂いた。もしケガをしなかったらもらえなかった。人間、何が災いするか何が幸いするかわからない。
本当なら、自分の大事な試合でケガをするなんて選手としては失格もの。でも、諦めなかった。最後まで何があるかわからないと気持ちを切らさなかった。

【夢】
ロス五輪の翌年に引退して指導者の道を歩み始めた。子供達に話をする時、私は「夢を持つこと」をいつも話題にしている。
中学2年生の頃、作文に柔道で将来オリンピックに出場しメインポールに日の丸を掲げ、君が代を聞きたいという夢を書いた。そして、その夢をずっと持ち続けた。
15年位前に、日本で初めて女性宇宙飛行士となった向井さんが、母校の後輩に行った講演の記録を読み、同じ事を言っているのを知った。向井さんも高校生の頃、自分は将来宇宙飛行士になりたいという夢を持った。そしてその夢を持ち続けたと。
夢を持つ、目標を持つという事は大切だ。人間は夢を持つだけで、特に頑張らなくても夢に向かって自然と努力していくものなのだそうだ。
多くの子供達、少年少女、若者に夢を持って欲しいと願っている。
私が柔道を始めた50年位前の日本は、今ほど豊かでは無かった。しかしながら目は輝いていた。子供達の明るい笑顔があった。子供達が子供らしく生き生きと生きていくために、私たちは環境を作っていく責任があるのではないかと思う。
今の若い人達は少々のことで心が折れてしまう人や、すぐにキレてしまう人が増えているように思う。スポーツをやっていると仲間と力を合わせたり、少々の失敗にもめげない忍耐力が身につく。オリンピックで勝つ事を目指すスポーツもあるが、一方で勝ち負けに関係なく楽しむスポーツももっと普及していけたらと思う。子供達の笑顔、瞳の輝きを取り戻すためにも、もっとスポーツの裾野を広げていくことが大事だと思う。

【オリンピック強化本部長】
2020年東京オリンピックは4年に1度のオリンピックでは無い。自国開催という50年100年に1度のオリンピックだ。前回の東京オリンピックの時、私は小学1年生だった。子供心にメインポールに日の丸、君が代を聞いて感動したのが、中学生の時の作文に繋がっている。
私は強化本部長として、金メダル30個以上という目標を掲げた。リオの時は12個だったから2.5倍。その前のロンドンの時は7個だったから4.5倍。せっかくの自国開催。選手達が力の限りを尽くせるようスポーツ界が一致団結して環境作りに励みたい。

【不祥事】
今まで偉そうに話してきたが、柔道界だって問題があったじゃないかというご指摘を受けるかもしれない。確かに柔道界は5年前に不祥事で世間を騒がせた。私はこの時の事を決して忘れていない。
私が一番辛かったのは、直接子供達に柔道を教えている指導者の先生方や子供達の事だった。「入門者が全く入ってきません」「子供達が下を向いています」「早く子供達が胸を張って柔道をやっていると言える柔道界に戻してください」などの声が届いた。
全日本柔道連盟に「暴力の根絶プロジェクト」を立ち上げ、私はそのプロジェクトリーダーとなった。このプロジェクトは、その後品格と礼節というプラス面も加えて「柔道MIND特別委員会」として継承され現在に至っている。

【宗岡前会長】
柔道界の立て直しを目指し全柔連の役員も一新、次期会長を新日鉄住金の宗岡会長にお願いした。当時新日鉄住金は合併1年目で会長兼CEOの宗岡さんはそれどころでは無かった筈だったが、無理を承知でお願いした。
宗岡さんは、お父様から4人の兄弟が大学進学に際して唯一つけられた条件は柔道部に入る事だったそうで、「大学はどこでも好きな所に行って良い。但し、柔道部に入らないなら学費は出さない」と言われたそうだ。
そんなお父様に、あの世で「正二、義を見てせざるは勇なきなり」と言われたくないと引き受けてくださった。
引き受ける際、3つの条件を出されたが、その1番目が私が役員を辞めないで、唯一人の副会長として、会長を支える事だった。
このような経緯があり、私も引き続き役員として残った。

【嘉納師範の教え】
私の好きな言葉に、「伝統とは形を継承することを言わず、その魂を、その精神を継承することを言う」がある。
柔道の創始者嘉納治五郎師範は「柔道は人間教育」と仰った。
柔道の究極の目的は、修行を通して心身を磨き己を完成させ、そしてそれを社会生活に活かして、より良い社会作りに貢献すること。私は世界で勝つ事ももちろん大事だけれども、それだけではない。この人間教育という面を大切にしていきたい。
もう一つ、私の好きな言葉に「1人では何も出来ない。ただ、その1人が動かなかったら何も始まらない」がある。
私は、真に柔道の発展を願い、共鳴してくれる人達と力を合わせて取り組んで行きたいと思っている。

【全柔連会長】
昨年6月に宗岡前会長から会長を引き継いだ。会長になって感じた事は、宗岡さんは会長を引き受けた時から、次は私に会長をやらせるつもりだったのではと言うこと。
あの当時、本当に会長を引き受けられるような状況ではなかった宗岡さんが、敢えて火中の栗を拾うことをしてくださった。もう一つ、専務理事として大阪府警の本部長だった近石さんは、トヨタの常勤顧問の道を断念してきてくださった。このお2人に、あの時無理しても引き受けて良かったと思って頂けるような柔道界にしていきたい。また、当時不祥事とは全く関係ない多くの役員も連帯責任として退任された。そうした人達のことも忘れることなく、まだまだ改革道半ばではあるが、取り組んで行きたい。

【柔道を通した国際交流・国際貢献】
柔道を通した国際交流や国際貢献はもっと日本の柔道界全体を巻き込んだ形で取り組んでいくべきと考え、12年やってきた柔道教育ソリダリティを来年1月に閉じる予定。そして、その精神は日本柔道全体で引き継ぐ。既に全柔連で始めている。細くても日本と世界を結ぶ架け橋としての役割を担える柔道界にして行きたいと思っている。

以上のような内容でした。

全て書ききれた訳ではありませんし、山下先生の思いをどこまで表現できているかは心もとないところではありますが、予めご了承ください。
他に質問コーナーもあり、アメフト問題や故斉藤仁氏の話、子息の斉藤立選手の話、柔道部のある中学が減ってしまっている問題などが出ました。

参加者は山﨑道場の子供達からご高齢の方々まで様々で、話し難かったかと思いますが、良い話がたくさん伺えとても勉強になったと思います。
山下先生は常に前向きに物事に向き合い、現在をそして将来に向かって一生懸命に取り組んでいらっしゃる姿勢がとても良く伝わった講演会ではなかったかと思いました。
また、道場の門下生は最後まで静かに聞いており、とても立派だったと思いました。
今はわからないでしょうが、これだけ間近で謦咳に接する機会はとても貴重なもので、子供の頃からこうした経験が出来たことは素晴らしいことだと思います。

このような会を開催して頂いた越谷北ロータリークラブ始め関係の方々に感謝したいと思います。

平成30年6月2日
【第176号】