柔道ニュース 「我、心の師 益田賢三先生」の発刊にあたり

今回の柔道ニュースは、

山﨑先生の高校時代の恩師、益田賢三先生が足跡を振り返る書籍を年末に発刊するにあたり、寄稿する予定でありました「山﨑先生の思い出の手記」を掲載させて頂きます。なお、益田先生の書籍は既に発刊済み(OBのみ限定販売)であり、この手記は掲載されておりません。

「我、心の師 益田賢三先生」の発刊にあたり

益田先生の足跡を振り返る記念の本書が発刊されると知り、益田先生への感謝の気持ちを一言と述べたいと筆をとりました。

私は、福山市蔵王町の出身で地元の高校に進学という形で、近畿大学付属福山高等学校(近大福山)に入学させて頂きました。

中学までの柔道の成績は、福山市、あるいは広島県東部地区で上位に進出するも優勝の経験が殆どない選手でしたが、福山地区では熱心な指導で知られる羽原道場に通っていたこともあり、益田先生の目に止まり、お声掛けを頂きました。

近大福山は、全国で名を馳せ名門校であることは道場の先輩方が進学していたこともあり十分承知しておりました。部員は、全国の遠隔から親元を離れ寮生活を送りながら学校に通う者が圧倒的で、まさに「猛者の集団へ入学」にただただ驚きばかりでした。私は体重74kg、同級生18人で初心者レベルの2,3人を除いて一番弱い部類にいたと思います。

私の入学した年の3年生は、ご存じの金鷲旗全国大会を制した年で、全国でトップクラスの実力と稽古をしておりました。そのような中、私は、中学時代に県の大会でさえ出場することも無かった視野の狭い地元出身の一年生で、稽古について行けるわけもなく、怪我をして、復帰してはまた怪我、を繰り返す一年生でした。

稽古について行けない怪我をした選手は、道場の下座にあるトレーニング機器の周辺で、先輩、同僚の冷たい視線を感じ、惨めな思いをしつつ、怪我をしていない部位を鍛えるしかありませんでした。そこへ時折益田先生は怪我の状態を確認に来られ、レギュラー選手を含めた稽古に満足している時は温かい励ましのお言葉を頂きましたが、稽古内容に不満足であった時は何も言葉なく無言で複数発「愛情」が入りそのまま指導に戻るということもありました。

~ 中略 ~

私の高校1年の期間は怪我の繰り返しで、年間トータルの半分も柔道着を着て乱取稽古を行うことができませんでした。稽古に復帰したなら怪我をしない身体作りにと、焦る気持ちと相まって、とにかく必死でトレーニングに励みました。その甲斐あってか年が明け、春の選抜に向けた新レギュラーを絞り込む頃、私は団体戦5名に入ることが出来ました。心身共に鍛えたあの辛くて厳しいトレーニングがあったからこそレギュラーに選んで頂いたと思っています。振り返ると、稽古に復帰する度に練習メニューについて行けているパワーアップした自分を感じ、「怪我は心身共に鍛えるチャンス」であることを益田先生は私に伝えたかったのかなと思っております。

 

益田先生の柔道技術理論は全てにおいて卓越しておりました。また、レギュラーになってからは徹底的にかつ手取り足取り丁寧にご指導頂きました。中学時代の羽原道場で素直な癖のない柔道を教え込まれていましたので、益田先生の理論をどんどん吸収することが出来ました。今の私の柔道技術理論は「益田流」です。高校を卒業して現在まで様々な柔道理論に遭遇しても全てが「益田流」で説明が出来てしまいます。今日では、全国各地で柔道理論の説明を「山﨑流」のように話していますが、全てのベースが「益田流」です。

近大福山の伝統(今も残るかは定かではありませんが)として、夏、冬休みに大学生が自らの休みを返上して高校生の稽古に付き合うべく帰ってきてくれます。その際、大学生は高校生の前で「技の説明」をさせられます。上手下手関係なく、益田理論に経験と持論を加え高校生に説いていきます。このことで大学生は更に益田理論の理解度を上げることができるのです。私もこの経験で幾度かさせて頂き「益田流」を深めていった記憶があります。

高校生の頃、私は、全国でも大活躍された憧れの大学の先輩方に「内股の指導」をして頂きました。特に、中川久、本村龍浩、問可和弘の3先輩からの指導は後に私が内股で活躍させて頂いたバックグランドの最たるものとなりました。益田先生の柔道理論を独自の切口で細分化し各人それぞれの内股理論をお持ちでした。益田先生も常日頃から口にしておられましたが、「同じ指導しても全く違う柔道スタイルが各人に生まれる、創意工夫をして自分でスタイルを作る努力を惜しんではいけない」、まさにそれを感じる3先輩の指導であったと思います。

私は現在、埼玉県越谷市で小学生を対象に町道場を運営させて頂いておりますが、私の師範代は近大福山出身者で、「益田流」を熟知している者です。私が指導したい内容を師範代2人は瞬時に理解してくれとても有難い存在です。また、近大福山同様、我道場は「研究」の時間が長く創意工夫をする時間をたっぷり取ります。今後も目先の勝敗に拘らず、たっぷり理論理解に時間を費やし、将来活躍してくれる選手を作りたいと思っています。

 

最後になりますが、私が高校時代、益田先生の下で学んだ事は「心・技・体」そのもので、「心・技・体」を向上させていく工程で人格形成が養われ、社会に出る骨格を作って頂きました。「諦めず自分を信じる心、研究に研究を重ねた卓越した技、限界まで追い込んだ強い身体」、様々な場面で様々な経験を重ね培われて行きました。卒業後今日まで大好きな柔道と携わらせて頂き、微力ながらも現在活躍させて頂いているのも、間違いなく益田先生の教えを請うた貴重な3年間があるからです。感謝致します。ありがとうございました。

 

2013年10月18日                   1985年卒 山﨑 茂樹