柔道ニュース 『レジェンド』

みなさん、こんにちは。

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楽しみにしていたソチ・オリンピックも終了してはや2週間経過してしまいました。選手のみなさん、たくさんの感動をありがとうございました。

スキー・ジャンプの葛西選手は41才、五輪7大会連続出場で、しかも今回初の個人戦メダル獲得となりました。この年齢まで日々の鍛練を積み重ねている事に、ただただ敬服します。

金メダルには惜しくも届きませんでしたが、あの大舞台で遺憾無く力を発揮してくれたと思うし、団体戦も含め、極めて安定感のあるジャンプを見せてくれたと思います。

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さて、今回のテーマは『レジェンド』としました。 葛西選手に対して今回たくさん耳にしました。

『レジェンド』とは、単純には『伝説』、葛西選手のような使い方をした場合は『伝説的人物』とか『伝説になるような名声を成し遂げた人物』というような意味を表しています。

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日本で『レジェンド』という言葉は比較的最近使われ出したものだと思いますが、各界に『レジェンド』に相当する人はいます。

そこで今回は、個人的見解ではありますが、柔道界の『レジェンド』についてご紹介したいと思います。

 

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【故・木村政彦氏】

『木村の前に木村無く、木村の後に木村無し』

と言われました。この言葉だけで他に言葉は要らないと思います。レジェンドの中のレジェンドとも言うべき往年の名選手です。

今でも史上最強の柔道家と評される事が多く、練習は出稽古のハシゴ等1日10時間、寝る際もイメージトレーニングをしていたそうです。

私が最初に直接姿を拝見したのは、昭和55年の栃木県宇都宮市で開催された国体の会場でした。写真をお願いしたら快く受けてくださいました。ちょうどそこに遠藤(純男)氏(全日本優勝、世界選手権優勝)がいらっしゃって、遠藤氏からの申し入れで豪華なツーショットを撮らせて頂きました。

木村氏は当時62~63歳でしたが、スーツ姿でも逆三角形の体形は若々しくオーラが出ていたのを覚えています。

 

【岡野功氏】

先日もご紹介しましたが、中量級でありながら、無差別の全日本を2度制覇、オリンピックや世界選手権でも中量級で優勝されています。また、俊敏な動き、技のキレなど今でも語り継がれている、記録にも記憶にも残る柔道家です。

著書『バイタル柔道』は、昭和47年に発刊され、ビデオやDVDも含め柔道界伝説の書物だと思います。昨年末に新装改訂版が出たのも、異例の事ではないかと思います。

また、岡野氏は現役引退後に『正気塾』を立ち上げ、少数精鋭で選手を強化しました。オリンピックで優勝したオランダのルスカ選手が、正気塾の名前の入ったジャージ姿で表彰台に上がり、金メダルを掛けた姿は印象的でした。

 

 

【山下泰裕氏】

全日本9連覇。203連勝。対外国人無敗など、最強の柔道家と呼ばれました。抜群の安定感で、応援していてもハラハラやヒヤヒヤする事なく、どこからどうみても勝つと思え、その通り勝ってしまう凄さがあったと思います。

 

引退後もなお強さは健在で、小川選手が世界選手権日本代表になった際に強化合宿で乱取りしたそうですが歯が立たず、『何でこの人が代表で出ないんだろう』と思ったとか。全日本選手権3連覇直後の井上選手からも『今でも寝技は山下先生が一番強い』とコメントされています。

 

山下氏が引退したのは1985年(昭和60年)です。小川氏がエッセンの世界選手権で初優勝したのが1987年ですから、そういう意味では引退して2年経ってもその年の世界チャンピオンよりも強かった事になります。

また、井上氏が全日本を3連覇したのが2003年(平成15年)の事ですから、40代半ばになっても『最強の寝技師』だった訳ですから、凄いの一言ですね。

 

今回このような紹介となり恐縮ですが、小川氏も井上氏もレジェンドとして取り上げられるべき名選手です。小川氏は世界選手権3連覇(当時は隔年開催)、全日本も7回優勝しています。井上氏も世界選手権3連覇(当時は隔年開催)、オリンピック金メダル、全日本も3連覇しており、内股の名手として強烈な技の印象と共に語り継がれています。また、これ程人気がありファンに愛された柔道家も他に例を見ない存在でした。

まだ他にもたくさんいらっしゃいますが、ご容赦ください。

 

柔道は競技の性質上、また国内の競争が激しいこともあって、年齢を重ねて第一人者を維持するのは非常に困難です。

しかしながら、今回ご紹介したようなスーパースターの出現を心待ちしています。

強さや技の強烈な印象が目に焼き付いて離れない、後世に語り継がれるような選手が出現する事で、柔道界全体が活気づき柔道を志す子供たちが増えてくれる、そんな日の到来を夢見ています。

 

平成26年3月9日

【第130号】