みなさん、こんにちは。
早いもので1月も後半になりました。
3月決算の会社に勤める営業職としては、厳しい季節ではありますが、子供達の柔道修行と同じで、仕事も前向きに取り組み、笑顔で年度を締めくくりたいものです。
さて、今回は少年柔道を離れ、各地で予選が始まっている全日本柔道選手権(以下全日本と省略します)をテーマにしてみたいと思います。
この全日本は、日本の柔道大会の頂点、最高峰に位置する大会で、毎年4月29日に日本武道館で盛大に開催されます。年齢、体重無差別で、各地の厳しい予選を勝ち抜いた精鋭による、その年の柔道日本一を決める大会です。
柔道界で『全日本に出た』とか『あの年の全日本は』と言えば、この大会を指します。
大学・警察・実業団等で活躍する選手にとって、全日本に出場する事は、一流選手としての証明であり、大変な栄誉です。
柔道界で三冠と言えば、『全日本』、『オリンピック』、『世界選手権』において全て優勝する事です。オリンピックは1964年の東京大会から採用されたため、それ以前の選手は含まれませんし、日本が不参加だった幻のモスクワ大会もありますが、三冠達成者は7人だと記憶します。
岡野功氏(竜ヶ崎一高⇒中央大学⇒現流通経済大教)、猪熊功氏(故人、県立横須賀高⇒東京教育大⇒東海大教/東海建設等)、上村春樹氏(八代東高⇒明治大⇒旭化成⇒現全柔連会長、講道館長)、山下泰裕氏(九州学院高/東海大相模高⇒東海大⇒東海大院⇒東海大教)、斎藤仁氏(国士舘高⇒国士舘大⇒国士舘大教)、井上康生氏(東海大相模高⇒東海大⇒東海大院/綜合警備保障)、鈴木桂治氏(国士舘高⇒国士舘大⇒平成管財⇒国士舘大教)です。
『特別な大会』と感じる理由の一つは、会場の設営にも見受けられます。
広い日本武道館に試合場は一つだけです。それも舞台のように床より高くセッティングされています。ですから、一回戦から決勝戦まで、会場内の視線は一つの試合に注がれ、選手の一挙一動に会場が揺れんばかりの、歓声・どよめきが起こります。
先程、厳しい予選と書きましたが、毎年1月から2月にかけて、全日本の一次予選にあたる、県選手権が各地で開催されます。埼玉県を例に取りますと、埼玉県選手権が今年は1月31日にあり、上位4名が3月7日の関東選手権(東京を除く、埼玉・神奈川・千葉・茨城・栃木・群馬・山梨の各県代表)への出場権が得られます。そして、関東選手権の上位4人が全日本出場となるので、例え各県のチャンピオンになったからと言えども狭き門なのです。実際、関東地区では、警察や大学に有力選手の多い神奈川県から複数の選手が出場しているようです。
そう考えると、全日本出場がいかに凄い事かがおわかり頂けると思います。
この全日本に山崎先生は、激戦区九州(旭化成や福岡県警、九州電力等の強豪揃いの中)から2度も出場され、平成3年には第5位になられています。
小生は、本戦はもちろんですが、予選を観戦するのも好きで会場に行きます。東京都選手権(東京は警察・実業団・大学等が集中しているため、東京都選手権が関東選手権と同じブロック大会に相当します)や、関西勤務時代は近畿選手権も見に行きました。
そうした予選会で良く見かける光景が、初めて全日本出場が決まった選手が喜び、感激に咽ぶ姿です。
昨年の全日本チャンピオン穴井選手も初出場が決まった近畿予選を制した日、涙していました。また、選手としては晩年に近い人が、長年の努力が実り初出場を決めた瞬間に見せる表情、監督や同僚から祝福され泣き崩れるシーンも、何度見てもジーンと来ますね。それだけこの大会に対する思い入れの強い選手が多く、世界チャンピオンより、全日本チャンピオンを目指す選手が、多いのだと思います。
全日本の熱戦や思い出は、また開催が近づきましたら別途記載したいと思います。
3月7日に、関東選手権(水戸市)や東京都選手権(東京武道館)が開催されます。また、その他の地域でも熱戦が繰り広げられ、今年の全日本も大いに盛り上がる事を期待したいと思います。
平成22年1月20日
【第16号】