柔道ニュース 『素直な心』

みなさん、こんにちは。

3月も後半、早い地域では桜の便りも聞こえてきました。
今日、小生は長野に出張しましたが、昼間はコートが要らない暖かさでした。
いよいよ春の試合シーズン到来です。これから5月にかけて、試合(含錬成大会)が続きます。日ごろの成果を発揮して悔いの無い試合が出来るよう頑張りましょう。

今回は柔道界で語り継がれている美談の中から、印象に残っている話をご紹介したいと思います。第一弾は、東京オリンピックにおける無差別級での出来事について取り上げてみます。

東京オリンピックは、1964年(昭和39年)に開催され、初めてオリンピックで柔道が採用された大会です。最初にお断りしておきますが、当時小生はまだ1才でしたので、これから記述する内容は、書籍・メディア・父親を始めとする諸先生方から聞いたものです。
前置きが長くなりますが、40数年前まで時間を戻します。
当時の日本と海外の柔道レベルは、現在に比べかなりの格差がありました。東京オリンピックの少し前まで、極一部の外国人選手を除き、相手にケガをさせないように加減して投げる、そんな状況だったそうです。
“お家芸”と評される柔道で、しかも地元開催ともなれば、日本中が金メダル量産を当然の如く期待しました。そんな中で、日本の前に立ちはだかったのが、無差別級オランダ代表アントン・ヘーシンク氏でした。
結果は、決勝で日本の神永昭夫氏(明治大⇒新日鐵)が、9分22秒(当時の試合時間は10分)ヘーシンク氏に押さえ込まれ敗れました。
この事実は、当時の状況からすると日本柔道界にとって、計り知れない衝撃的出来事でした。と同時に、外国からすれば、オリンピックという大舞台で、相手が無差別級の日本人選手、しかも抑え込みでの一本勝ちという内容に、非常な喜びであったに違いありません。
そんなオランダの英雄・ヘーシンク氏の『立派な態度』と『人となり』がメインテーマです。

袈裟固めによる押さえ込みで、一本を告げる鐘が鳴った直後、興奮したオランダ人が、試合上に駆け上がろうとしました。それを制し、追い払ったのが、ヘーシンク氏でした。
勝ったからといって浮かれた態度は、死力を尽くし戦った相手に対して失礼、という思いからだそうです。最後の礼までしっかりと行い、その後互いの健闘を讃え合う、その立ち居振る舞いが立派だったと、今でも語り継がれています。余談ですが、当初一回限りの予定種目だった柔道が、オリンピックの正式種目となったのも、ヘーシンク氏の活躍あればこその決定だと聞いています。

オランダでヘーシンク氏を見初め育て上げたのは、日本の道上伯(みちがみ はく)氏でした。道上氏が、ヘーシンク氏をこのように評しています。
「指導には何でも従う、素晴らしく素直な選手だった。酒もタバコも慎み、休日は自然と触れ合いながら体力作りに専念するなど、感心するところは枚挙に暇がない」と。
言うは易し、行うは難しです。素直な心を持ち、柔道に対して真摯な姿勢で取り組む事が一番であると、ここでも実証されています。
ヘーシンク氏の話には後日談があります。当時の日本代表監督・松本安市氏は、ヘーシンク氏の日本での師にあたります(ヘーシンク氏が日本へ柔道修行に行くにあたり、道上氏は、武専の後輩であり優れた指導者と信頼していた松本氏が指導している天理大を選びました)。松本氏は、天理大の初代師範であり、学生同様にヘーシンク氏も分け隔て無く厳しく指導したそうですが、オリンピックでは、松本氏が日本の監督になった為、敵味方に分かれる事になりました。全階級制覇が義務付けられていた松本氏は、オリンピックの大会終了後、頭を丸めました。その姿を見て、ヘーシンク氏は直ぐさま全てを察知し、松本氏の傍に駆け寄って最初に発した言葉は「先生、すみません」だったそうです。
また、ヘーシンク氏は、現在でも自身が獲得した金メダルを「日本の四つ目の金メダル」と語っています。

『素直な心』・『謙虚な心』・『相手を思いやる心』など、全て見習うべき重要な事です。柔道が強いだけでなく、人間的にもすばらしい、まさしく真の柔道家だと思います。

【柔道関連テレビ情報】
春のシーズン到来で、久しぶりにこのコーナー復活です。

『全国高等学校柔道選手権』
現1~2年生による、男子は体重無差別の5人制勝ち抜き戦。女子は体重別の3人制点取り戦。金鷲旗(きんしゅうき)、インターハイと並んで、高校の3大大会の一つです。試合は3月20日、21日ですが、放送は28日にあります。
今年の見所は、男子は、東海大相模が全国3大大会7連勝なるか、優勝候補筆頭と目される国士舘の巻き返しなるか。女子は、埼玉栄が4連勝の新記録に挑戦します。

3月28日 16:10~18:00
NHK BS1

平成22年3月19日
【第24号】