柔道ニュース  『中学時代の思い出』

みなさん、こんにちは。

ついに首都圏でも雪が積もりました。今年は各地で大雪ですが、やっと関東も少しだけ仲間入りと言った所でしょうか。

野菜が一気に高くなってしまいました。お母さん達は献立を考えるのも大変だと思います。

普段当たり前のように食べてしまいがちですが、もっと感謝しないといけませんね。

 

先週末は、前回お伝えした県紅白試合でした。

山崎道場からも2名の強化選手が選ばれました。

神崎選手(1年男子)

山口選手(3年女子・2年連続)

本人ならびにご家族の方々、おめでとうございます。

これを機に益々成長されますよう、稽古に励んでください。

 

さて、今回のテーマは『中学時代の思い出』としました。

 

 

中学入学を控えた私は、柔道に拘らず全ての部活動を視野に入れて入部を決めようと考えていました。経験や興味を度外視し、未知の世界を自分の目で確認し検討する事は価値があると考えたからです。団体種目、個人種目、果ては文化部まで…。結局は、柔道の魅力に勝るものには出会えず、柔道部に入部したわけですが。

私の通っていた中学は、学区内にある市立中でした。伝統のある柔道部でしたが、当時は地区内で中程のレベルでした。

柔道場は、『講堂』という相当な年代を感じさせる古い建物の床に畳を敷いたものです。床面積は結構広く、半分が柔道部、もう半分は卓球部が使っていました。おそらく100畳以上はあったと思います。20名程の部員が練習するには十分な広さでしたが、贅沢を言えば、敷地内の西端で窓枠は隙間だらけ、冬は北関東特有の北西の強風がまともに入りました。以前第4号で書きました『寒稽古』ほどではありませんが、冬の稽古はかなり厳しかった思い出があります。講堂ゆえに、天井の高さが寒さに拍車をかけたのかもしれません。

また、最近の畳とは材質が違い、硬くて重い畳に加え、柔道場仕様に作っていないためスプリングは無く、投げられた時の衝撃は、かなりのものがありました。おまけに畳と畳の隙間が開き易かったので、隙間に指を挟んでケガをしないように、頻繁に隙間を詰める調整をしていたのを覚えています。

 

入学した頃は、とにかく毎日先輩から立っていられない程、投げられて痛かった思い出しかありません。

というのも、新入生は10人程いたのですが、経験者は私だけでした。他の新入部員は受け身が出来ないので、乱取り(自由練習)は当然ながら免除されていました。

ですから、暫くは恰好の鍛えられ役?だった訳です。特に一つ上の先輩方にとっては、待ちに待った後輩ですから、良く鍛えて頂きました。

⇒決していわゆるイジメではありません、念のため。

経験者とは言え、1年3ヶ月ほどの僅かな経験しかなく、しかも毎日練習していた訳ではありません。体も入学時点で164センチ63キロとサイズだけはそこそこでも、やはり小学生の体です。毎日練習している成長期の先輩方との体力差は歴然でした。ですから、同級生が受け身をマスターして、乱取りに加わって来た時の安堵感は、今でも覚えています。

話が少し横道にそれますが、入学間もない1年生と上級生との体力の違いは歴然です。私も2年の秋には177㌢68㌔でしたが、体つきは全く変わりました。実力的にも一級の試験に落ちたところから黒帯を絞めるまでになっています。成長期ですから、その位違いがあるものです。

それゆえ、凄いと感心するのは、昨年度隣り町の道場から小学生個人戦全国制覇した選手が出ましたが、県内の柔道実力校に進学し、いきなり夏の大会からレギュラーとして活躍していた事です。その選手は、更に個人戦でも上級生に混じって90㌔級で2位となり、関東大会に出場していました。調べてみると、全小で3位以内に入るような選手は、同様の活躍ぶりであり、その位の実力が無いと、小学生で全国トップクラスにはなれないのですね。今後もケガに気をつけて、順調に成長して欲しいと願うばかりです。

 

話を元に戻します。中学での練習は、月曜から土曜まで毎日でしたが、時間は季節で異なり、夏は2時間程度、冬は1時間弱でした。学校側からの指導で、全ての部活動共通の規則でした。また、顧問の先生はいらっしゃいましたが、ほとんど練習に来られる事はありませんでした。途中で交代もありましたが、柔道着姿を拝見したのは3年間で1度だけでしたし、技術的指導をして頂いた記憶もありません。専ら『柔道入門』のような指導書を買って、見よう見真似でやっていました。

今思えば、技術的には理に適わない組み方・掛け方をしていましたし、よく大きなケガもなく三年間過ごせたと思います。技術的指導の素晴らしい山崎道場での練習を見るにつけ、タイムマシンでもあったらといつも感じます。

しかしながら、こんな環境も決して悪い事ばかりではないと思っています。それは、大人になる過程の中で重要である『自主性』が芽生えた事です。サボっていても怒る人はいません。下級生の頃は先輩の目が光っていましたから、特に基礎体力運動は厳しかったように記憶しますが、2年の夏に3年が抜けてからの1年間は、まさにやりたい放題やろうと思えばできました。

しかし、未熟ながらも練習メニューや選手選考から試合のオーダー決めまで、一生懸命・試行錯誤しながら考えました。どうしたらチームが強くなれるかに始まり、相手チームの戦力分析をして、誰は誰に当てたいとか、対戦チームのポイントゲッターはどこにくるか等、暇さえあれば考えていたものです。

振り返ると無駄な事も多くありましたが、自分なりに好きな事に打ち込む事ができ、良い思い出です。

 

山崎道場の一期生も卒業間近です。きっと期待と不安を抱きながら中学生になります。各々の目指す道での活躍、そして充実した中学生生活を願っています。

 

 

平成23年2月18日

【第64号】