みなさん、こんにちは。
前回の野村氏の話①は如何でしたか。
さっそくですが前回に続いて野村氏の話の2回目です。
前回は子供の頃から大学生になるまでについて語られていました。今回はオリンピックに出場が決まってから最初の金メダルを取るまでの話です。
1996年アトランタオリンピックの代表に選ばれた。そんな中、野村氏の反骨心を駆り立てる出来事が起こった。出発前の成田空港、報道陣は金メダルの有力候補である小川選手、古賀選手、吉田選手、田村選手などに群がった。ごった返した会場で野村氏は取材されるどころか、報道陣から邪魔だとでも言うように突き飛ばされた。
「期待は薄いけど、オレだって代表だぞ。舐めるなよ」そんな気持ちが燃え上がった。
「反骨心」「悔しさ」「怒り」が奮起するエネルギーになった。
試合当日。3回戦で当時の世界チャンピオンである、ロシアのオジョギン選手と対戦した。下馬評は圧倒的に不利。作戦は相手はスタミナが無いから、とにかく前半凌いで後半勝負というものだった。
しかし、思った以上に相手は強く、有効を2つ先取される。残り1分を切り、焦る気持ちも出てきた。
ただ、初めてのオリンピック出場にあたり、自分の中で目標を立てた。一番は金メダルを取る事。
ただ、これは結果であってやってみないとわからない。そこで、自分がどんな柔道をしたいかについてテーマを掲げた。
・常に前に出て攻撃する
・ピンチでも顔に出さない
・絶対に諦めない
この3つを絶対に貫くと心に決めた。
残り1分を切って焦る気持ちが出てきても、落ち着け、顔に出すな、最後まで攻めるんだ、絶対に諦めないんだ、と自分に言い聞かせた。最後は残り11秒で咄嗟に出た技(袖釣込腰・技有)で逆転勝ちした。
金メダルをかけた決勝戦。
この日までに金メダル確実と言われていた先輩達が次々と負けており、日本チームとしては非常事態。そんなムードの中で野村氏も序盤相手にリードを許してしまう。しかし、そこに焦りは無かった。決勝の相手はその前の対戦で逆転負けした選手だった。負けた試合では、先にリードしていたが後半守ろうとして消極的になって、逆転負けしたものだった。だから、もうその後悔はしたくないと思って、例えリードしていてもリードされていても、どういう状況であれ最後まで攻め抜く、そんな気持ちだった。負ける気は一切しなかった。野村氏の直前で女子48キロ級期待の田村選手が決勝で負けており「これで勝って金メダルを取ったら自分がヒーローだ」とポジティブに捉えていた。
野村氏は、身の回りに起きた事象に対して、自分で考えて最後は前向きに捉えるという考え方が出来る選手だった。しかしながら、素の野村氏はとてもネガティブな性格だそうで、そんな性格だからこそ、本当に自分が勝負しなければいけない時にどういう自分であらなければいけないか、その自分を作る為に何をしなければいけないかを、不安と恐怖があるから細かく準備が出来たのだと語っている。何とかなるさといって何とかならない世界もあるが、ある種開き直る自分を作らない準備を怠らなかったのだ。
こうした話も、頭で考えるのはさほど難しくありません。でも、実行するのはたやすく無いことはみなさんご理解いただけると思います。そういう努力が出来る選手だったことが、これだけの実績につながっていったのですね。
次回は、2つ目の金メダルであるシドニーと3つ目のアテネオリンピックの話です。
令和2年8月17日
【第192号】