柔道ニュース  『オリンピック3連覇、野村氏の話③』

みなさん、こんにちは。

昨日に続いて野村氏の話の3回目です。今回は最初のオリンピック金メダル獲得後、2回目と3回目のオリンピックに臨む話となります。

初の金メダルまでと次のオリンピックを目指す際に、練習への姿勢等に変化はあったのか?

答えは練習への取組み姿勢やしっかり組むという点では特に変更は無かった。ただ、1回目は子供の頃から大好きで磨き続けた背負投でほとんど勝ったが、金メダルを取ったことで、世界中が野村の背負投を徹底的に研究してきた。だから同じスタイルでやったのでは4年後は勝てないというのはわかっていたから、取組み意識は今まで以上に厳しくしないといけないと認識したし、それにプラスして柔道の戦い方、技のバリエーションを広げていかなければいけないと思い、背負投だけでなく他でも一本取れる技に取組み始めた。

新たな決め技の研鑽を積んだ野村氏は、自身最強の時代を迎える。それでもなお、試合の時が近づくとプレッシャーや不安に襲われた。

そんな野村氏を救ったのは、2度目のオリンピックであるシドニー出発直前に父から渡された手紙だった。

アスリートなら皆メンタルトレーニング等で、ポジティブな自分をイメージするものだが、やはり試合前は不安になる。特に試合前日は眠れなかった。どのオリンピックでもそうだが2時間か3時間眠れるかどうかだった。

そんな時に父からもらった手紙を読んで気持ちを落ち着かせた。

今も大切に取ってあるその手紙にはこう書かれていた(抜粋)。

『自信とは努力の裏付けがあってこそ持てるものです』

『この4年間の努力と苦労した全てが自信となります』

『親として指導者として君は最高の柔道選手であることを確信しています』

野村氏を見守り続ける父親の思いが綴られていた。

野村氏も、日頃はアドバイスや言葉がけはしないけど、やはり父として指導者として静かに見守ってくれていたんだな、見てなきゃ書けない内容だなと感じ、父も言ってくれているのだから、不安はもちろんあるけど自分を信じよう。やれることは全部やってきたんだ、そういうふうに思えた。

父の言葉を胸に野村氏はシドニーの舞台で順調に勝ち進んだ。そして伝説ともなった決勝戦。開始から僅か14秒、電光石火の隅落が決まり一本勝ち。最強の男がオリンピック連覇を成し遂げた。

2つ目の金メダルを取ったら次に3連覇という思いは凄くあった。だが、現実的に30才になる年に出来るか、しかも2連覇している時点で、金メダルを取るためにはここまでしないといけないというのは自分でもわかっている。肉体的には衰える中で、3連覇だったら何をしなければいけないのか、また、したからといって勝てる保証は無い等思い悩んだ。

結局、シドニーオリンピックが終わって1年間休んだ。休んだけど、まだ心の整理がつかなかった。でも周りからは現役を続けるのか辞めるのか決断を迫られた。

でも、周りに急かされて決める類のものじゃ無い。自分がどうすべきか、そこしか無かった。

自分の決断に責任を持ちたかったし、2連覇した者として生半可な気持ちでやりますとも言えなかった。それで困り、日本にいてはしんどいので米国に渡った。

米国では週に一回だけ柔道着を着て小学生に柔道を教えていた。そうしてある種柔道と距離を置きながら、柔道の楽しさを再認識する中で、これからについて改めて自分事として考えた。

夢へのチャレンジを自分から投げ出していいのか、3連覇へのチャレンジは2連覇した自分にしか出来ない。そんな気持ちになって3連覇を目指そうと決めた。

復帰はしたものの、復帰戦も復帰第2戦も負け続けた。当時は、何故勝てないのか、何故ここまで惨敗するのか、2年間のブランクを差し引いてもわからなかった。

勝てない理由もわからないまま、続いていく屈辱の日々。無残に一本負けを喫する姿に、野村は終わったと囁かれる。もうこれまでか、そう思われた時、恩師である細川先生の言葉が負の心を変えるきっかけとなった。

『お前、負けたあとどんな表情しているかわかっているか』と言われた。

報道で出ている写真を注意して見てみると、負けたあと笑っていた。悔しく無いのか誤魔化しているのか。子供の頃もオリンピックチャンピオンの頃も2連覇した時も負ける時はあったけど、国内外の大会を問わず号泣しているか鬼のように怒っているかのどちらかだった。その自分が復帰してから負けたら負ける度に笑っている。

『そこちゃうか』と言われた。

周りは結果しか見ない。結果を受けて自分も批判される。負けることによって。そしてどんどん批判されることによって萎縮していく。でも2年のブランクを作ったのも、その上で復帰すると決めたのも自分。誰に頼まれた訳でも無い。その自分が負けて恥ずかしいとか、何を誤魔化しているのか。その中で何を自分一人でカッコつけてるのかと思った。

その時に当たり前のことだけど、自分の持っている力を試合という緊張する場面で出し切るところから始めようと考えた。

アテネオリンピックの3連覇に向けて、当たり前のことをもう一回やるってところからリスタートすることにした。

スタートはそんな状況だったが、その後日本でトップになりアテネが決まり、本番のアテネでは圧勝だった。準決勝までの4試合でトータル5分かからずに決勝進出。決勝も逃げる相手に優勢勝ち。

同じ階級だからそんな事は無い筈だけど、皆相手が自分より小さく見えた。

一度柔道を離れて、改めて自分にとって柔道とはどういうものかというのが見えたし、ブランクを作って2連覇した自分が、周りからボロカス言われて惨めな思いをした中で、もう一度自分を取り戻してここまで戻ってきた。ここまで歩んできた道が自分に自信を与えてくれたのである。

当時は、IJFも国内も選手選考の基準が今と異なり、2年のブランクがあっても、代表に選ばれることは可能でした。

野村氏は2連覇から3連覇にかけての4年間をうまく使い、アテネに自分を最高潮に持って行くすべを知っていたのだと思います。

令和2年8月18日

【第193号】

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