みなさん、こんにちは。
11月も中旬に入り、昨日はだいぶ寒くなったと思ったら、今日はかなり暖かくなりました。最近風邪もはやっているようです。いつも言うようですが、寒暖差が激しいと疲れたり体調を崩すことが多い気がします。一度風邪をひくと、本調子に戻るまでしばらくかかります。未然防止に勝るものはありません。体調管理に気を付けてください。
さて、今回のテーマは『卒業⑥・恵太』です。
息子が中学受験をするため、柔道から一旦離れることになりました。
息子の事なのでここで取り上げるつもりは無かったのですが、山崎先生はじめご父兄の方から、有難いお言葉を頂戴し筆を執りました。
柔道を始めたきっかけ、その後の経験による変化については第51号に、柔道による年代を越えた家族の絆については、第50号に書いております。宜しかったらそちらもご覧ください。
息子は、小1の9月に山崎道場に入門させて頂きました。
4年という月日は、過ぎてみると本当に早いものです。
入門が決まった日の夜、私ははやる気持ちを抑えきれなくて柔道着を衝動買いしてしまいました。とにかく息子の柔道着姿が早く見たくて、名前も手書きで、すぐに洗濯して夜中にドライヤーをあてて乾燥させ、翌朝の稽古に無理やり間に合わせました。
これほど嬉しい気持ちになったのは、『やっとの事で子供を授かった日』と、『大手術の末に子供が産まれた日』以来の事でした。
先日、最近入門した子がその柔道着を着ているのを見て、無性に懐かしく当時を思い出しました。
当時の練習場所は、合気道道場(プレハブの20畳ほどの道場、既に取り壊されている)と草加東高校でした。
息子が柔道着を着て柔道場で体操をしている姿、整列して先生のお言葉に耳を傾けている姿が、今でも昨日の事のように瞼に焼き付いています。
とは言え、息子にしてみたら自ら進んで始めた訳じゃなし、近所の友達や知り合いがいるでもなし、日曜は朝6時前に叩き起こされ6時半前には出発(当時は7時半練習開始)ですから、大変な『修行』だったと思います。
そんな訳で、柔道は始めたものの、運動神経も無ければやる気も無いという、手のかかるタイプで、熱心にご指導くださる先生方には、申し訳ないやら恥ずかしいやらの日々でした。
そんな息子も、継続は力なりで、精神的にも肉体的にも、息子なりにではありますが、成長してくれたのではと感じています。
一方で、柔道を始める前からの習い事がたくさんあり、尚且つ本人も家内もそれらの継続を希望したため、少ない練習日に遅刻をせざるを得ませんでした。特に立ち技練習の日にその傾向が強かったので、打ち込みや投げ込みが圧倒的に不足していました。そしてついに、4年の2月からは、日曜の寝技練習日しか参加出来ない状況となりました。
結果的には、すばらしい技を教えて頂いていたのに、一人だけ泥臭い柔道でした。もちろん、人並み外れた技を期待していた訳ではありませんでしたが、父親としては、もっと練習に取り組ませてあげられたら、習熟度合いや試合の幅も違っていたのではと反省しています。というのも、やはり試合に出る以上は勝ちたい、応援にきた家族に褒めてもらいたいという気持ちは、子供心にもあったからです。
当初は、柔道で負けるのもじゃんけんで負けるのも変わらないレベルでしたが、やっと最近になり他とは違うものに意識が変わってきました。
身体的には手足が長く、懐が深いために、立ち技の一本負けはほとんどありませんでした。さらに体が軟らかくなれば、立ち技も寝技も成長出来ると考え、柔軟体操のメニューをつくったこともありましたが、柔道主体の生活ではないのと、試合で負けたくない気持ちはその時だけで、練習熱心ではなかったし、まして家でトレーニングするような努力家ではなかったので、実現しませんでした。
逆に、これだけはある程度達成出来たかなと思う事は、試合をする上で、『気持ちで負けないこと』でした。『大きな声で気合いを入れて、元気の良い試合をする事』にはこだわりました。このことは、私が父から教えを受けた事であり、男として、柔道人として、息子にも是非とも身に付けて欲しいと思っていた事だからです。
細かい思い出はたくさんありすぎて、とてもここでは書ききれません。でも、ほとんどの試合は、私の記憶の中にしっかりと刻み込まれています。そして、意外にも息子も同様で、たまに風呂に入って『何年生のあの試合のあの時こうだったな』というような会話を突然振っても、ちゃんと覚えていてついてきます。何だかんだ言っても、柔道が嫌いじゃないんだなと感じるところです。
少しずつではありますが、柔道への興味も増してきて、特に団体戦では相当入れ込んで試合をしたり、応援したりするようにもなりました。
遅ればせながら、最近は取組み姿勢に変化も見て取れました。
本来なら、やっとこれからという時でした。しかしながら、5年生も半ばとなり、進学塾の勉強も徐々についていけない状況になっていきました。
とても辛い事でしたが、先生に翌月末で辞めさせて頂きたい旨申し入れさせて頂きました。先生もご理解頂き、卒業イベントまで開催して頂きました。また、私には引き続き残って、柔道ニュースの継続のお話しも頂きました。
道場からの帰り道、塾まで息子を迎えに行きました。
会うなり、『今日(の先生の様子や反応)はどうだった?』と聞いてきました。
『残念がっていらっしゃったけど了解して頂いたよ』と伝えました。
矢継ぎ早に質問が来ました。
『今日は何人来た?』
『どんな内容だった?』
⇒講道館の夏期講習で朝飛先生が教えていた寝技の入りかたを教わっていたよ。
『僕には合いそうな技?』
もっと早くから、こんな会話がしたかったですが、こうした息子の反応ぶりが嬉しかったです。
元々中学はおろか大学も、『どこでも良いから行けるところに行けば良い。そこで一生懸命やれば良い』が私の考え方なので、どこに進学するかはあまり興味がありません。
ただ、中学では『少々の事ではへこたれない精神力と体力を育成して欲しい時期』との思いから、また柔道に取り組んで欲しいと思っています。
平成23年11月12日
【第92号】