柔道ニュース 『谷亮子選手引退』

みなさん、こんにちは。
“ヤワラちゃん”こと谷亮子選手が引退しました。
15才で福岡国際優勝以来、20年もの長きにわたり世界のトップ選手として活躍、オリンピックで5大会連続メダル獲得をはじめ、世界選手権6連覇を含む7回優勝、全日本体重別11連覇など、燦然と輝くすばらしい実績を残し、柔道界、特に女子柔道の発展に計り知れない功績のあった人でした。
簡単に書きましたが、まさに、『前人未踏』・『空前絶後』等、思いつく限りの賞賛の言葉を並べても良い偉業だと思います。
また、人気・知名度も抜群で、参院選出馬決定時も、なみいる有名人やプロスポーツ出身者を遥かに凌ぐビッグニュースになりました。今回の引退発表でも、翌日の読売新聞ではスポーツ面や社会面のみならず1面にも大きく掲載、日刊スポーツでは1面から3面までオールカラーで大特集。更に社会面にも掲載という破格の扱いでした。

谷選手(当時は田村選手)が初めてシニアの大会に出て来た頃、まさに、”衝撃”を覚えました。
それまでの女子柔道は、男子柔道と比較すると、スピードや技のキレ、ダイナミックさ等に乏しいという評価でしたが、谷選手の柔道は、そうした声を一変させるに余りある、すばらしいものでした。
その後の活躍ぶりは前述の通りですが、勝負勘も抜群でケガにも強く、調子が悪い時も悪いなりにきっちり対応できる、臨機応変さも兼ね備えた、まさに類い稀な選手でした。

このような凄い活躍ぶりから、みな彼女を天才だと評しましたし、私もそう思っていました。確かに人並み外れた才能の持ち主なのでしょう。しかし、子供の頃から努力の面でも抜きん出た人でもありました。出身道場は、中村3兄弟(3人とも世界チャンピオン。全員東海大五高⇒東海大⇒旭化成)と同じ東福岡柔道教室です。当時の恩師は、初めて見た時あまりにも小さくて細いので、練習についていけるか心配したそうです。でも、練習する姿を見てその不安はすぐに一掃されたと言います。運動神経も良く、飲み込みも早いしやる気も凄い!!
当時から練習量も桁違い。小学校低学年から1日4時間もの猛練習を毎日続けていたそうです。
そして更に感心したのが、ベテランとなりトップ選手に君臨し続けてからも、人一倍の努力を怠る事無く続けていた事です。あの強い精神力やモチベーションの源は、きっとこうした日頃の努力の積み重ねから産まれたのではないかと感じます。
以前紹介した『僕らの時代』というテレビ番組で、薪谷・塚田・谷本(敬称略)という一時代を築いた世界チャンピオン達が、口を揃えて雲の上の存在と語っていたのが印象的でした。
『ヤワラちゃんは凄すぎる。
私達は全日本合宿(の厳しい練習)でヒィーヒィー言っているのに、ヤワラちゃんにとって全日本合宿は休息(息抜き程度)で、普段もっと凄い練習をしているから、リフレッシュレベルだと聞いた時に信じられないと思った。
プレッシャーで押し潰されるなんて事は絶対に無いと思う。新しい世界、誰もが体験した事の無い世界に踏み込んで行く事が自分自身への刺激。連勝を積み重ね、自分を辛い状況にどんどん追い込んでいけるというところが本当に凄い』と。
女子柔道界で頂点を極めた方々の言葉だけに重みがありますね。
国内・海外問わず、世界中から徹底的にマークされた”ヤワラちゃん包囲網”も常に突破し続け、結婚後も、30才を超えても、出産後でさえも、金メダリストとなり超一流のアスリートであり続けた姿は、後進の選手達にとって、これ以上ないお手本でしょう。

『(念願の世界一になって)初恋の相手にやっと巡り逢えたような気持ち』
『最高でも金、最低でも金』
『田村で金、谷で金』
『ママになっても金』
などヤワラちゃん語録も豊富で、その柔道スタイルと共に記録にも記憶にも残る名選手でした。

残念ながら北京五輪以降、一度も試合出場なく引退されたため、もう一度その勇姿を見る事は叶いませんでしたが、第2の人生でますますのご活躍を祈念したいと思います。そして、いつの日か柔道界に復帰され、指導者として第2・第3の゛ヤワラちゃん゛を育成して欲しいですね。
本当にお疲れ様でした。
そして、たくさんの感動を有難うございました。

平成22年10月22日
【第52号】